tetragonal distortion

某国立大学の若手教員のただの日記です

ルーティン

最近は、次のようなルーティンで生活している。

非常に生産的で満足度も高い。

 

朝6時半: 起床

〜8時: 朝食、身支度、洗濯、洗い物など

8時〜8時半: 子供が遊んでいる隙に論文の原稿や研究費等の申請書を書き進める。

8時半〜9時: 子供を保育園に送り届ける。

9時〜10時過ぎ: 近くのカフェや小規模な図書館などで執筆の続きをする。(もしミーティングが入ったらそのまま大学に行く。)

11時頃: 大学に行きお昼ご飯を買って、研究室の郵便物を回収、伝票類の分別をする。

12時前後: お昼を食べながら比較的緊急度の高いメールを返したり、事務仕事をしたりする。

13時頃〜16時頃: 学生とミーティングしたり、実験の手伝いをしたりする。もしくは担当授業や時間のかかる事務仕事。

16時頃〜17時過ぎ: 脳のスイッチがOFFでも返せそうなメールを返す。

17時過ぎ: ジョギングしながら子供を保育園に迎えに行き、必要であれば買い物をして帰る。

18時過ぎ頃: 妻が帰って来て夕飯を作るまで微妙に残ったメールの返信などをする。

〜19時過ぎ: 家族で夕飯

〜20時頃: 子供と筋トレ

〜21時過ぎ: 風呂、歯磨き、洗い物、洗濯

22時頃: 子供とそのまま一緒に寝る

 

この生活だと論文の原稿は2−3週間、申請書は1週間−10日くらいで書き上げられる。

いつまでこの生活が続けられるか試してみたい。

開放

昨年度はコロナ禍で入国が遅れた外国人研究者や留学生が大量に押し寄せて来たのをお世話したり(新研究テーマの立ち上げや、現場での実験指導、ディスカッション)、拘束時間がかなり長い授業の担当が回ってきて平日が半分消失したり、諸々いろんな大きなものが降ってきて自分の時間が全然取れない1年間だった。

 

今年度は上記のようなものから開放され、驚くほど何も無い。

先代たちが置いていった時限爆弾的なタスクも昨年までに片付けたのでもう無い。

どうやら新しい受け持ち学生もいないらしい。

 

こうなったら書こうと思って手つかずになってしまっていた論文を書き進めようと思う。

早速10日ほどで1本書き終えることが出来た。

あと2本くらい自分ですぐ書けそうなネタがある。

(とは言ってもボスがいつ論文の確認をしてくれるのかは分からないが・・・)

 

ボスが関係しない単著のレビュー論文を書いても良いかもしれない。

 

科研費・若手研究も今年で切れるので、若手2回目、JST ACT-X (さきがけは出せそうなものが無かった)や、ワンランク上の科目(基盤B、挑戦(開拓))にも挑戦したい。

前に進むこと

毎年のことながら12月から1月は大学教員にとって繁忙期である。

 

卒論やら院生の学位論文の執筆指導はもちろんのこと、自分の担当授業の成績付けをやったり、各種研究費の計画書や報告書を書かないといけなかったり、学外の学会活動の仕事もそれなりに降ってきたりする。

 

卒論等のデータをたくさん取るので装置も壊れて、その修理対応に追われたりもする。

 

卒業はしないM1D1くらいの子たちもそろそろ研究を周回軌道にちゃんと乗せてあげないといけない時期でもある。

 

やってもやってもなかなか仕事が終わらなかったり、実験や修理が失敗に終わることも多い。

それでも毎日少しずつでも前に進むことが大切だと思っている。

 

毎日1歩でも前に進んでいれば、紆余曲折はあるかもしれないが、いずれ花が開く(仕事のゴールにたどり着く)日が必ずやってくる。

 

実際、2年前に立ち上げたノウハウゼロの新しい研究が担当の学生とああでもないこうでもないと失敗を繰り返しながら2年がかりでやっと芽が出てきた。

何度も夢に実験が上手くいく光景が出てきて、目が覚めてからがっかりすることがあったが、ついに夢が現実となった。

これまでデータがゼロに近かった子が次々意味のある結果を出して来たのだ。

 

今回は完全に新しい研究だったこともあって、今までの中で一番時間と労力がかかっているが、似たようなことはこれまで沢山見てきた。

 

結局は挫折を繰り返しながらも物事を諦めなかった人が勝つのだと思う。

 

これからもただ愚直に前を向いて毎日1歩1歩前に進み続ける。

助けてあげられる学生さんと助けようがない学生さん

大学教員をやっていると学生さんの発表会等のスライドやセリフの原稿を添削する事が頻繁にある。

 

だいたいの学生さんの場合は1-2週間前くらいにまずは発表内容についてざっくりとした打ち合わせを行い、話の骨組みや重要なポイントの理解度の確認をしておく。

その後、締め切りの3-5日以上前には自分なりに全部埋めたものを持ってきてもらって、それを1-2回添削・修正を繰り返すとそれなりのクオリティのものが出来上がる。

もしその内容で発表して他の先生方からダメ出しを受けたら、それはその内容でGoサインを出した私の責任である。(と学生さんにもいつも言っている)

 

しかし、上記のようなスケジュール感で動いてくれない学生さんが一定の割合で存在する。

いくら発破をかけても発表前日に完成度50%の子や、発表が近づくと音信不通になり、当日突然現れてめちゃくちゃな内容の発表をする子がいる。(現れてくれれば生きていることは確認できるのでまだ良いが)

これでは助けたくてもこちらとしては手の施しようがあまりないので、そのような子には恥をかいて学んでもらうしか無い。

 

出来ない子に「ちゃんとやりなさい」と言って直るなら良いが、多くの場合はそう簡単にはいかない。

こういう子は要領が悪かったり、単純にだらしない性格ということもあれば、医師からADHDと診断を受けているという場合もある。

 

なぜ上手く出来ないのか、根本の部分を掘り下げて原因を探ったり、他の学生さんよりも細かいマイルストーンを設定したりする必要がある。

 

正直言って大変な手間なのだが、こういう子を社会に出れるように育てるのも僕ら大学教員の大事な仕事である。

授業"負担"

今年の前期は所属専攻内でのローテーションワークで学部1年生向けのある実験の授業を担当した。

 

授業自体の時間が長いのと、その準備やレポートの採点のために、通常に比べて平日が2日程削られてしまった。

 

もちろん授業は大学教員の仕事なので、責任持って半年間仕事をした。

授業準備の過程で勉強し直して理解が深まったこともいろいろあった。

 

しかし、ある日から突然平日が2日削られて、他の業務はそのまま (というか増えた) というのは結構大変だった。

 

今期からはまた通常の生活に戻ったので、差分の時間で論文を書いたり、研究費の申請や指導している学生さんとの実験や議論のために使いたい。

健康を害すると人生台無しになる

タイトルは当たり前のことしか言っていない。

 

しかし、最近わたしの身の回りで健康を害した結果、一気に不幸になった人がたくさん出てきた。

 

メンタルを病んでしまった人や、不摂生が原因で死にかけた人、高頻度で倒れる体になってしまった人、謎の難病?になった人、いろいろなパターンがある。

だいたいは同業者(研究者)である。

 

こうなってしまうと、しばらくはまともに研究は出来ない。

こういった事例を見ていると好きに研究をやっていくには健康を保つのが非常に重要であることを再認識する。

もはや健康維持も研究の一部と言っても良いのではないだろうか。

 

私はもともとお酒やたばこをやらない。単純にこれらが嫌いだからである。

学会の懇親会でお酒を勧められても空気を読まずにソフトドリンクを飲んでいる。

 

夜も子供に合わせて22時くらいには布団に入って8時間は寝ている。

十分寝ているので昼間に眠くなることはほとんどない。

 

週末には学生の頃からやっているとあるスポーツの社会人チームの練習に行ってそれなりの量のトレーニングをしている。

キツイ有酸素運動なので練習が終わると非常に眠くなるものの、ストレスが吹っ飛ぶのでメンタルには間違いなくプラスになっている。

 

当初は、研究に時間を使ってなくて大丈夫だろうかという気持ちが心のどこかにあったが、今はこれら健康を保つためのアクティビティが研究のベースとして必要であると自信をもって言える。

 

健康な状態を保ったまま、平日の昼間はフルスロットルで研究して、引退したあとのある日にコロリと死ぬ生き方をしたい。

出張が増えてきてしまった

我が家は夫婦共働き(フルタイム)である。

家事のうち料理、イベント企画、子供の保育園のお迎えを妻が、洗い物、洗濯、その他掃除、行政やらの事務仕事、保育園の送りを私がやっている。

 

私が仕事で出張する場合、一泊二日程度くらいなら家事が一時的にストップしても大した問題にならないが、数日の出張の際には私が担っている家事を誰か他の人がやる必要が発生する。

 

そのようなとき我が家の場合は義理のお母さんに来てもらうか、最近では子供が戦力になってくれるようになってきた。

 

しかしそれでも出張を入れるときは家族にかなり気を遣う。

妻のサンドバッグになるのも毎回しょうがないと腹を括っている。

(お互い憎み合っても足を引っ張り合う悪循環が生まれるだけなので、代わりに妻が出張のときは必ず快く送り出すようにしている)

 

これまでは海外出張に行く回数も原則年に1回までということにしているが、指導する学生数がかなり増えてきているので、この制限もいつまで保てるか分からない。

 

コロナ禍は多くの出張がオンラインで済むようになり、我が家のような家庭には非常に大きな恩恵があった。

 

しかしもう世界はコロナ禍ではなくなってしまった。

 

出張しないといけない仕事も明らかに増加傾向にある。

 

家庭と仕事の両立に頭を抱えることがこれから増えるに違いない。

研究室の最適規模

私が所属する研究室はメンバー合計約50人で、専攻内の他の研究室(十数人~20人くらい)から比べると2~3倍くらいの大所帯である。

これまでうちのボスは数々の大型研究費を当ててポスドクや留学生を大量に受け入れて研究グループの規模を拡大してきた。

 

しかし、ここにきて雲行きが怪しくなってきている。

ボスが大型研究費の獲得に連続して失敗してしまったのである。

失敗したといってもその辺の研究グループよりはまあお金はある状態だが、なにせ人数が多いので何も買い物や出張をしなくても消耗品代やら故障した装置の修理費やらポスドクの人件費やらで年間5000-6000万円のランニングコストがかかる。

 

もし来年度までに何か数億円規模の研究費が当たらなかったら研究費で雇用していたポスドクたち全員の首を切らないといけないし、博士課程を終えた学生はすぐにどこか別の就職先に送り込まないといけない。

 

正直ポスドクたちは選り好みさえしなければどこにでも行けそうな強者揃いだが、博士課程の学生達は路頭迷うかもしれない。

 

というのも、ボスはたくさんの研究費を取ってきた結果、その研究費に関係する事務仕事や細々としたマネジメント仕事に時間を取られ続け(一部は若手に投げられ)、学生が執筆した論文の原稿がほとんどチェックできていないので、いつまでたっても論文が出せない悪循環に陥っているからである。一応、我々若手教員も添削したクオリティ的にも問題ない原稿ばかりだが、ボスの許可が下りるまでは投稿が出来ない。

 

かくいう私がボスの下でやった博士課程の研究に関する論文数本も書いて数年経つが未だにボスのところで止まっていて投稿に至っていない。まあ、真似されそうな内容でもないし、私の場合幸いにも任期が無いので開き直って気長に待つことにしている。

ひどい場合、人によっては原稿が10年近くボスのところで足止めされている。

 

ここ数年を見ていると研究室としては論文が数十本出ているが、ほとんどは他との共同研究でちょっと手伝ったので著者として名前を入れてもらっているもので、研究室のメンバーがボスの添削を経て投稿したのは年間5~6本くらいである。

(実際普通の人間が頑張っても添削できるのは1-2カ月に1本が限度だと思う。)

 

これはレアな話ではないと思う。似た話は世界中で聞くので、大所帯研究室のあるある話なのだろう。

 

こういった状況を見ていると、大きな研究費を当てるというのは、研究者として大きな名誉・ステータスだし、それでポスドクなどの雇用を生み出せば学界の後輩の育成にも寄与できるが、それが行き過ぎると事務仕事が忙しくなりすぎて逆に成果物*(つまり論文)が出なくなってしまうし、それで若手の業績リストもスカスカになって就職できなくなってしまう。

*人がたくさんいれば、生み出されるデータも多くなるので外から見えない成果は大量に溜まっている

 

ボスが研究費を獲得できなくなってきているのも、他の研究費の事務仕事でこれまでに比べて申請書の中身を練る時間が十分取れなくなってきているのが一つの原因だと思う。

 

以上をふまえると、成果物の量(と幸福度)が最大となる研究室の規模として適正なサイズがあるのだと思う。

 

今私はこの大所帯の中で十数人の学生達の主指導を担当しているが、論文の出版までのことを考えると、今くらいの人数がマネジメント出来る限界だと思う。

 

国立大学でも教員数が削減されて教員一人当たりが受け持つ学生の数は増える傾向はあるが、もし将来自分の研究室を持つようになったら定員は多くても20人くらいに制限したい(許されるなら10人くらいが理想)。

研究成果報告書の業績リスト

年度末年度始めには、いろいろな研究費の報告書を作成することが多い。

国を始め研究費をくれたスポンサーへ何かしらの報告をするのは研究者として当然の義務だと思う。

ただ、いつも不毛だと思うのが、研究費ごとに提出する業績リストのフォーマット(著者名、タイトル、出版年の順番や太字か、斜体かなど)の指定がバラバラで、自分で調整しないといけないことである。

(たぶんフォーマットを作っているお役人さんたちはこれを考えずに適当に指定しているんじゃないだろうか)

10件分程度なら手動でやってもどうということは無いが、多いと大変なので最近は業績リストを特定のフォーマットで出力させるスクリプトを用意したりもした。

 

しかしながら今月はボスが関わった超大型プロジェクトの業績リストを分担研究者から膨大な情報を集めて一つにまとめる作業をしている。

一応、このフォーマットで情報を送ってくれと言って送ってもらっているが、先生によって微妙にフォーマットが違っていたり、年配の先生はもはやフォーマット無視の状態で送って来たりして、結局一つ一つ手動で調整しないといけない。

 

今月だけでこの不毛な作業に数十時間費やしている。これだけの時間があったら短い論文のドラフトが1本書き上げられる。

 

僕ら国立大学の教員の給与は国民の血税なのだから、それが年間数十時間分×何人分も無駄になっていると思えば皆腹立たしくなるのではないか。

 

せっかくResearchmapという国内で統一された業績管理システムがあるのだから、そこと情報リンクさせればOkにするとか、そこから関連する業績を出力させて出させるとか、もっと良いやり方があるはずだと思う。

 

ぜひ河野太郎にでもこの問題に斬り込んでもらいたい。

2023年度始め

今週は4月の最初の週なので、新メンバーを迎え入れるための準備に多くの時間を使った。

 

大所帯の研究室なので、まずはオフィスの席が足りるか確認しないといけない。

新メンバーと言っても、普通の学生だけでなく、研究滞在でやってくる外国人の分も考え必要がある。

 

とりあえず4月に加わる子たちの分の席はなんとか確保出来た。

今のところ前期はなんとか席が足りそうだが、誰かが滞在期間を伸ばしたりすると計画が崩壊する。

まあ、ダメだったらボスの膝の上にでも座ってもらうしかない。

 

あとは、同じように新メンバーの席に置くパソコンを確保する必要がある。

それと同時に来年の10月でWindows 10のサポートが切れるので、Windows 11にアップグレードできない古いパソコンを使っている子のものを入れ替えてあげないといけない。

確認してみたところ、10台以上のパソコンを入れ替える必要があるらしい。

しかも新メンバーの分が足りないので、ひとまず今月は5台ほど新規購入することになった。

 

それにしても、昨年研究室にあったよくわからないガラクタたちを一斉に廃棄して、200ほどある資産のリストを整理したので、このあたりの誰がどんなパソコンを使っているかの把握はかなり楽になった。

 

あとは、放射線作業従事者など実験で使う各種資格の更新、新規登録や、TAなど学生の事務手続きを行う。

 

毎年そうだが、そうこうしているうちに1周間が終わってしまった。

 

朝活で論文執筆

先月から朝活を始めてみた。

何をしているかというと、朝6時に起きて論文を執筆したり、研究費の申請書を書いたり、発表準備など、邪魔が入ってほしくない集中が必要なタイプの仕事をしている。

大学で研究者をやっていて、とてもストレスを感じるのが、自分の自己実現のために論文や研究費獲得でアウトプットを出さないといけないというのが頭では分かっているのに、その時間がなかなか捻出できないということである。

(もちろん学生が言うことを全然聞いてくれないときもストレスは溜まるが・・・)

 

成果もある程度溜まってきて「さて論文を書いてみるか」と思いつつ、日々のちょっとした雑用や、学生さんのお世話、上からのメールの返信等をやっているうちに、自分のことをやる時間が気づけば無くなってしまっている。

 

「できる研究者の論文生産術 どうすれば「たくさん」書けるのか(ポール.J・シルヴィア著)」をある時読むと、いつでも良いから論文を書く時間をコンスタントに設けるのが重要だと書いてあった。

確かにそうだなと思って、スケジュール上に「この時間は自分のことに使う!」という時間設定をしてみたこともあったが、なんだかんだ色々な人から助けを求められて、放っておくことも出来ずにそこに予定を入れてしまったり、上からの指令で予定が自動的に入ってしまうことも多くダメだった。

 

結局は、他の人が活動していない時間に自分のことをやれば、時間がキープできるのではと考え始めた。

他の人が活動していない時間というと選択肢は以下の3つがあった。

(1)早朝

(2)深夜

(3)週末

深夜は頭が働いていないので、論文の執筆なんかまともにできない。

週末は家庭があるので仕事をさせてもらえるわけがない。

残った選択肢が早朝だった。

 

朝6時に起きてすぐにWordを開いて文章を書き始める。

(同じ部屋に妻と子供も寝ているので起こさないようにスマートウォッチのバイブレーションとスマホのバイブレーションアラームで起床する。二度寝防止のために2桁の数字の四則演算を解かないとアラームが止められないようになっている。)

だいたい、7時過ぎに他の家族が起きてくるので、それまでは集中して続ける。

後は出勤して9時前から10時頃も邪魔が入らないことが多いので、そこで続きをやる。

たった1~2時間程度だが、こうやって毎日数パラグラフぐらいずつ書いていくと、あんなにハードルが高かった論文や研究費の申請書のドラフトが1週間で1本書けることが分かってきた。

まさに「塵も積もれば山となる」である。

 

まずは「そのうち書こう」と思って手が止まっていた論文たちを一通り片付けようと思う。

 

書ける論文を書ききってしまったあとの世界を見てみたい。